ファッション誌をやっていないスタイリストはダメだ。みたいな風潮のあった2010年代前半、
師匠のおこぼれで頂いたLEONは長く続かず、自力で若いファッション誌をもぎないと躍起になって営業した。
ジョーカーというワイルド系のファッション誌なんて、断られても断られても営業にいき5回行ったが取れなかった。そんな中 アバハウスの仲の良いプレスさんに紹介して貰ったファインボーイズから電話がきた。
「この前、アバハウスの展示会で挨拶した平野(現在は編集長)です。巻頭の8ページのスタイリングやりませんか?」
きたーーーー!!!!飛び込み営業だと5回行っても取れないのに紹介だと1発かい!!
今アシスタントをやってる皆さんへ。[知り合いはアシスタント期間に出来るだけ増やしとけ。]
そんな感じでサクッと始まってから、3年間毎月欠かさず仕事を振ってくれた。毎月12万円確定。生活は安定した。
ファッション誌のスタイリストは優遇されていて、編集からお仕事を頂いたら「ヘアメイク、カメラマンは誰にしたい?」って聞いてくれる。ということで、その期間はヘアメイクさんから沢山の営業を頂いたもんだ。軽い優越感に浸った。
それとは別に芸能人の仕事も着実に増えていき、【ファッション誌+芸能】の若手スタイリストとして、手が一杯で頭が混乱していたスタイリスト3年目。アシスタントを雇おうと決めた。
まさかこんなに早くアシスタントを雇うとは夢にも思っていなかったが、背に腹は代えられない。ミクシーというサイトに募集を出したら、立命館大学の優秀な学生から応募がきた。アリサだ。
そしてもう一人スタイリスト西さんの紹介で応募があり、いきなり2名体制。
「これで雑誌の膨大な量の作業が半減する!」と夢に見た数か月後にファッション誌の依頼が止まった。
せっかく2人のアシスタントもいて、万全の体制にしたのに・・・。体制整えたらこれかよ・・・
我々スタイリストに契約なんて1つもない。専属みたいな外注さん。つまり完全な下請けだ。
親会社の都合によって いとも簡単に首を切られる。芸能の仕事もそうだ、タレントさん事務所さんの都合で仕事は ぱったり来なくなる。だから毎日気を張って仕事をしていないといけないのである。
2ヶ月待っても3か月待っても仕事は来ない。そして半年来ないと考えることを止めてしまう。もう来ないな。「世代交代か・・・。俺のスタイリングは飽きられたんだな。」そう自分に言い聞かせ納得した。
そして月日は流れ 5年後。
当時の編集の池上さんにばったり会って、酒を飲んだ。
懐かしかったー・・・。そして嬉しかった。当時はとても良くしてくれ、プライベートもよく遊んだ人だ。仕事が来なくなってからは疎遠だったが・・・。
少しほろ酔いになって気分も良くなった頃 当時の思い出話になった
津野「世代交代って残酷ですよねー今は笑って話せますけど、当時はレギュラー雑誌が無くなったこと きつかったな・・・。」と切り出した。
池上さん『え?何のこと言ってます?』と言われた
はて・・・?
津野「いやいや、突然レギュラーの仕事無くなったじゃないすか。自分のスタイリングに不信感もちましたよ・・・」
池上さん『津野さん何も聞いてないの?そんなんじゃないから。
ベイクルーズからNGが入ったんですよ。津野さん使うなら出稿しないって。広告入らないと雑誌作れないから、仕方なく我々は津野さんとお別れしたんです。』
???なんで俺みたいな若手のスタイリストが大手の洋服屋からNGくらうん?・・・・・
何をどう考えても納得がいかなかった。意味不明。すると
池上さん『当時の貸出し担当の方が、嫉妬してたんですよ。津野さんから直接アポイントが入らないって。津野さん仲の良いレディースプレスに伝えて アポイントとってたでしょ?
その行為がメンズ担当からしたら 虫が悪かったらしいですよ。』
うっそ・・・そんな事で俺の3年間のレギュラー消えたの?・・・。めっちゃ悩んだのに 理由は1人の男の嫉妬かよ。
ここで学ぶべきは、【担当者を立てろ】だ。
どんなに話しやすい人がその会社にいても、担当者がどんなにいけ好かなくても、【俺は聞いてない】っていって人は怒るんだ。
数年前にもオスカーのマネージャーに「俺は聞いてない」って切られた。
今回も全く同じことをした。人はなかなか学ばないもんだ。
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