2011年7月に160万円あった月商は、前述の出禁騒動後に月20万円代となった・・・。ちーん。
事務所の家賃は15万円、駐車場代は3万円・・・。詰んだ。。。
当然、スタイリスト業だけでは生きていけず、スタイリスト1年目時代にお世話になった
上海エクスプレスの中華宅配店に出戻り・・・。「店長すみません、また雇って頂けませんか?」と伝えた。顔馴染みの配達員のstaffからかけられた「お帰り」の言葉は今でも忘れられない。
(※ちなみにサムネイルの画像はオスカーの社長に謝りに行った際の哀れな坊主頭だ。)
ここで悟った教訓を話しておこう、
それは「卵は1つの皿に盛るな!」だ。
株式投資の格言でよく耳にする言葉ではあるが、ある大口の取引先だけで仕事をしていると、そこが無くなった時に取り返しのつかないことになる。なので、卵は分散して異なる皿に置け!といったことである。
8:2の取引先で仕事をした場合、8が無くなった時に大打撃をくらう
3:3:3:1に分けたら安定するといったことであろうか。
それからというもの、とにかく仕事先は浅く広く分散。他のどのスタイリストよりも業界に知り合いの多いスタイリストになる!!と心に決め、分散に励んだ。
出禁事件の翌月である2011年の9月に営業に行ったのが、有村架純さんだった。
当時、鈴木亮平くん、勝地涼くん、小柳友くんの取材スタイリングをした映画「阪急電車」の戸田恵梨香さんの脇でちょろっと出演していた有村さんに 何故か目が留まり、事務所に飛び込み営業した。
たしか架純ちゃんが、芸能界に入ってまだ半年だったかな、、、。そんなピチピチの新人女優さんに飛び込み営業したわけだ。当時の担当マネージャーの大塚さんから第一声で頂いた言葉は
「なぜ世間一般に知られていない有村に営業にきたのですか?」だった。
津野個人的には事務所の先輩 広末涼子さん、戸田恵梨香さんを売り切ったから、事務所側は
「次のスターにシフトしていくだろうな?・・・」と勝手に仮説をたて営業してみたといった感じ。
結果マネージャー様からは
「ちょうど城嶋茂さんの情報番組の準レギュラー番組やるからやってみる?」とお声がけを頂いた。
そこから映画「ビリギャル」で彼女が大ブレークするまで頻繁に声をかけて頂いた。
大塚さん、当時現場マネージャーの草ちゃん、架純ちゃん本当に有難う御座いました。
そして、さらにもう1人「仕事のない津野」を支えたホリプロの立役者がいる・・・。
コメント