映画「大きな玉ねぎの下で」の初日舞台挨拶だった。同世代のメイクさんに、昔に比べて今はどういう気持ちで仕事をしているか聞いた。
すると昔より素直になった。楽になった。とお話しされた。
そのメイクさんは、それはそれは仕事の出来る方で、沢山のタレントさんを担当してされている。そして、気も優しく穏やか。
そんな彼も、昔は尖っていてプライドが高く、我を貫いて生きていたようだ。
「自分のメイクが1番だ」「あんなメイク良いと思わない」と思いながら ゴリゴリやっていた。
それが今やすっかりプライドは無くなって、
自分なんてまだまだ、下手くそ。上には上がいて、
他のメイクさんの良いところは、惜しみなくパクるという様に、丸くなって学ぶ気持ちが出てきたという。
ひと通り忙しくやってみて、仕事がどのように回ってくるか、どういう気持ちで人と向き合えば良いかが分かって来られたようだった。

津野も若い頃は、「絶対に売れっ子になる。持久戦なら負けない、意地で上に行くんだ」と思ってやってきた。
売れるに値するだけの、根拠なき自信はあったので、それを頼りに日々を送った。
次第に仕事も回ってくると、服が集まった時点でコレは行けるとか、行けないが分かる。
ある日「イケる!!」と思ったコーディネートが、案の定採用になり、発売を迎えた。 見本誌が届き、そのコーデの主役の「ブラウス」と全く同じブラウスを着た、別のスタイリストの作品を見る機会があり 絶望感を味わった事がある。
同じ服なのに、別のスタイリストのコーディネートの方が何倍も良かったのだ。しかも、その人は有名なスタイリストでも無かった。。。生意気な事を申し上げると、正直当時の津野の方が3倍くらい仕事はあった。しかし、肝心のスタイリングは負けた、、、。
そこで理解した事は2つ
●自分はまだまだ勉強が足りない。もっと沢山のコーディネートを見ないといけない
と思った事。
●「勉強の多い少ない」と「売れてる売れてない」は関係ないという事。
才能は量である。コーデが上手くなりたければ、それ相応のコーディネートを沢山見て研究しないといけない。これは、スタイリストとして生きて行くにはマストの日常作業である。
更に売れたいのだったら、コーディネートを磨くよりも、肩組んで歩けるくらいの知り合いが 多く居ないといけない。
スタイリストと名乗りたいなら、スタイリングをしていないといけない。それがどんなにやりたくない案件だとしても、スタイリングしていないとスタイリストではない。
となると、順番は
❶仲良しの知り合いを作る事
❷コーディネートの技術を高める事
となる。
ここの順番を見誤ってはいけない。
・勉強は知り合いを増やしながらで良いという事。
・先に勉強してなくて良いという事。
それを理解すると何を優先するべきかが見えてくると思う。

津野は服の勉強をして来なかった責任として、一生をかけて服の勉強をし続ける義務がある。日々、目の前にある他人のコーディネートを見ながら、「目新しい!」とか、「何故その着方にしたの?」とか考えながら生きて行かなければならない。
要はいつも、コーデにアンテナを張っていないといけない📡
最近ではコートの悩みが1つ解決した。
ロケでコートを使う際、「コートの面積」でほぼ全てのコーディネートが完結してしまうのが、悲しかったし、コートLOOKは諦めていた。
しかし、先日アイドル雑誌で、コートの上から華やかな柄のマフラーを肩にかけたLOOKを目にした。「これだ!」と思った。
そんな簡単な技法ですら、普通に生きていると浮かばないモノだ。しかし、アンテナを張っていさえすれば、その辺りにも気付くことができる。
今や津野もメイクさん同様に他人のテクニックを仕入れることに、全く抵抗はない。
「自分はまだまだ甘ちゃん。」と常に思っている。不必要なプライドは捨てている。守るべきところは、自分のプライドではなく、お客様である。
スタイリストとして長くやっていくには、
まず❶知り合いを増やし、その合間で
❷テクニックを吸収する事なのかもしれない。
プライドは程々に。

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