出来る事なら、話が面白い人になりたい。これは多くの人が身につけたい能力である。人生を通して、コミュニケーション、人間関係、トークは切っても切り離せないからだ。
でも、我々一般人は芸人さんみたいにポンポン面白い話が出るわけでもない。では、どうやって話の面白さを磨いて行けば良いのだろうか。
この手の本は津野も好きでよく読む。すると、右を見ても左を見ても、「聞き上手になれ」、「共感しろ」、「リアクションを大きく!」と、聞き手の技術さえ磨けば、コミュニケーションは満点という本が乱立している。
それは分かる。でも、「出来れば他者から面白いと思われたいのだよ、、、。」そう思っていた時に、【面白い話をする人の特徴】を提案したコンテンツに出会った。

そこには、「人から面白い人と思われたいなら くだらない話をしろ」と提案されていた。なるほど、、、。正直ちょっと意外だった。くだらない話は好きだが、対人関係において「プラスに働く理由」が分からなかったからだ。
ではなぜ、「くだらない話が良いか」それは皆が共有できるから面白いのだという。
結局、目の前の人達全員が分かる話をしないとコミュニケーションは失敗だという事。
確かに言われてみればそうだ。「この前こんな面白い事があって、、、」と語られるエピソードに心からトキメいた記憶は、ほぼない。
理由は、その場に自分はいなかったからだ。笑いには必ずバックヤード(場面、人間関係等)が存在する。そこを知っていないと話に体が乗っていかないのだ。
笑いとは分かりやすく言語化すると、【予想外の結末】だと思うが、そこに誘導できる技術は芸人の特権であり、一般人は真似しようと思っても出来ない。
物語の背景や、場の人間関係を理解していない状態では、話し手さんが体験したインパクトまでは望めないのが正直なところ、、、。つまりは「空気感は伝わらない」という事だ。
しかし、くだらない話にはそれが無い。
例えば、「くだらない話」だと
●男性の股間でいう「イナリ」とは、竿のことなのか玉袋のことなのかの議論
●娘に目薬をさした際に「パチパチして!」といったら、手を叩いた瞬間
など、今その場で起こったくだらない話は、格別に楽しめる。
しかし、「他人が体験したエピソード話」
●遅刻した理由を「向かい風が強くて、、、」と言い訳して逃げ切ろうとしたが、逃げきれなかった話。
●母との会話で、一般人の事を「パンピー」、六本木の事を「ギロッポン」とテレコに読んで楽しんでいたら、間違ってピーマンのことを「マンピー」と言って気まずかった話。
などを、凄く楽しそうに語られた事はあるが、、、津野は話し手ほど楽しめなかった。

話を聞くに値すると思われるには、やはり皆が共有出来る話にしないといけない。
例えば我々スタイリストでいえば、タレントのいる狭い控え室内で、一部の人しか分からない話を、自らするものではない。
仕事依頼者のマネージャーやタレントがする分には、「どうぞどうぞ話して下さい」だが、我々は下請け 皆さんを楽しませなければならない。
メイクさんが、タレントを置いてけぼりにして「我々スタイリストと身内話」をしようものなら、スタイリストが無理矢理 共有出来る話に誘導する必要だってある。
それくらい気を使っていきたいものだ。
弊社、事務所内でも過去のアシスタントがインターン生や新入生を話で「置いてけぼり」にする姿を何度も目にした。
「部下に厳しい人」は、部下が共有出来ない話をする傾向にある。お構い無しに、身内話に花を咲かせているのを目撃すると、師としては少し悲しい気持ちになる。
最悪のパターンでは、スタッフ内でLINEをブロックするという事もあった。こうなっては仕事に支障をきたすわけだ。
メンバー全員を巻き込んで、会話を楽しむ議長的優しさを是非 兼ね備えてほしいものである。
今日は皆が面白い話は、「くだらない話」だと伝えた。何の生産性もない話は、人を幸せにする!!
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