ホリプロ殴り込み!!

プロフィール

2003年5月8日オスカープロモーション同日入社、現松竹芸能の林本渉氏から1本のLINEが入った。

ブログ見てるよ。映像化の話あったりする?真吾の人生ドラマ化したいんだけど、、、、

オーマイゴー🫨願ってもない。

はい!依頼の話だけでもお腹一杯です🫃。毎日書き始めて1年になるが、問い合わせは、海外のネットギャングからの迷惑メールしか来なかったので、

「ブログが面白い!!」なんて人が現れるとは思っても見なかった。

そんな今日は剛力彩芽さんとの対談RADIOの収録。昔話に花が咲いた事もあり、昔を思い返すフェーズだと思った。よって、

ココから2回にわたり、

・ホリプロ入社試験編と、

・オスカーマネージャー物語編

を書こうと思う。

スタイリストを目指す方にも

生き残るには、何をするべきか」という点で参考になると思うので、読んで頂きたい。

津野(当時20歳)はフジテレビ「めちゃめちゃイケてる」という番組(ナインティナイン)の大ファンだった。

MCの矢部さんが、マネージャーの仕事を1日体験するという企画がホリプロで行われた。それをみた瞬間、「俺はココに入るんだ」と⚡️雷が落ちた。

その後、ホリプロの新卒者採用にエントリーした。応募総数は3000名、5次審査を経て受かるのは7名。400〜500名に1人が採用という狭き門の中、津野は最終面接15名まで残る事が出来た。

・テレビの今後

・これからの芸能界

・これからの事務所のあり方

どんな質問が飛んで来ようが、巻き気味に返せる自信を持って最終面接に臨んだ。

企業の面接とは面白いもんで、2次面接、3次面接とランクが上がるにつれてパイプ椅子が、王様の椅子へと変わっていく。。。

面接は特に失敗もなく終わった。後日ホリプロから手紙が届いた。そこには【落選】の文字、、、。その文字を見るや否や 紙を握りつぶしてホリプロ本社に殴り込みに向かった。

受付の方に、「採用試験を受けて落ちた者だ。納得いかないから人事と話したい。」と伝えた。

当然取り合ってくれない。しかし、このままで引き下がるわけにはいかない。

ホリプロと取引のあるビジネスマンが通る 玄関のど真ん中で、座って受付に伝えた。

人事と話すまではココを退かない

その後、押し問答はあったものの ホリプロとしては迷惑極まりないので、仕方なく人事の方が降りてきた。

「君は何をしにきたのか?」と問われたので、

「津野を落とすのはおかしい。将来御社に多大なる利益をもたらす人材だ 自信がある。ちなみに津野以外で、落選して殴り込みに来る様な人はいたか?そんな気合いの入った人間はいないだろう。俺は行動力がある。だから再度考え直して欲しい。」と意味不明な理由を伝えた。

芸能界では名の知れた有名企業が、個人の直談判に付き合ってくれるわけはない。あの手この手で、追い出そうとしてきた。

それでもガンとして、引き下がらなかった。

「取り合ってくれなかったら、明日も明後日もココに来ると伝えた」。すると、相手が根負けした。

分かった分かったから、コレでどうだ。

「子会社にホリエージェンシーという会社がある。そこにも優秀なマネージャーは沢山いる。そこの小野田社長の1発面接をして来い。話は伝えといた。」と言ってくれた。

分厚い壁に風穴が通った気がした、、、。

津野は「いつか子会社から、親会社に、返り咲いてやるからな!」と心に誓い条件を呑んだ。

数日後、ホリエージェンシーの社長の面接をうけた。しかし、社長は「本当は女の子が欲しいんだよなー」と元も子もない返しをされて、また落選した。

そこで悟った。「そうかこうやって、グループ会社で丸め込んで、若者の息の根を止めるんだな。。。大人は頭が良いわ。完敗だ。」そう思った。

暖簾に腕押し!来年もう一度、ホリプロを受験する時間があるなら、他で実績を積もうとオスカープロモーションの試験を受けた。

オスカーは応募者は1200名 で4名が採用。

そこで津野と林本渉は出会う事となる。

後から何故その高い倍率の中で津野はうかったのか?」と専務に尋ねたら、「お前が社長と同じ福岡出身だったからだよ。それだけだ。」と言われた。それだけ、、、、。

ココから伝えたい事は1つ。「簡単に諦めるな!」と言う事だ。人生は時に「とてつもなく高い壁」を貴方に課す。その際に、怖気づいて、引き下がらないこと。

どうにかして這い上がれないか、風穴を通せないか、そのアイデアを複数だし実行する「不屈の精神」が必要なのである。

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