カメラマン渡辺達生さん(77歳)が亡くなった。
津野が知る限り日本一カメラマンを世に輩出した巨匠で彼から22人が独立し、かつ活躍している。津野が良く仕事をするのは、11代目矢西さん〜22代目の槇野君までの間の8名。特に楽満さん藤本さん佐藤さんは、同じ時代を駆け抜けた同志だ。
達生さんは2026.3.12にお亡くなりになり、そこから直アシスタントとその弟子達までが一斉に、自身のインスタグラムに達生さんの写真を掲載して弔った。一気にオススメにガンガン達生さんが出てきた光景は圧巻だった。
津野が初めて達生さんに会ったのは24歳。22年前である。週刊ポストの表紙の撮影で達生さんの自社スタジオで、米倉涼子さんの撮影だった。
米倉さんも到着して、メイクを終わらせ、そろそろ撮影という時間まで達生さんは現れず、米倉さんのカメラ前入りと同時にスタジオ入りされて、シャッターを数分押したら撮影は終わった。まさしく、あっという間。。。
当時からドラマの主役を担当していた、ハイランクの米倉さんよりも遅く現れる人は、ほぼいなかったので驚いた。
遅れてきた達生さんに米倉さんは驚きもせず、「お久しぶりです。お元気そうで、、、」みたいな同じみの会話を交わして、和やかな雰囲気で撮影を開始した。
達生さんの物腰は柔らかく、自然体だったが誰がどう見ても大御所カメラマンだった。。。
この時のライティングは全てアシスタント。何の指示もせず、シャッターを押すだけに現れる姿は今でも忘れない。

津野が次に会うのは、2015年35才の時、山本美月さんのサンデーという漫画誌の初登場 初表紙の撮影だった。
11年ぶりに会った達生さんは、昔と変わらず優しい物腰の柔らかいオジさん。ニコニコな和やかな雰囲気が数々の女優を魅了してきたんだろうな、、、と、改めて感じた。
この時 別の撮影では、15代目アシスタント楽満さん、16代目アシスタント藤本さんと毎週の様に撮影していたので、達生さんに会ったら必ず聞こうと思っていた質問を満を辞して聞いた。
「貴方の弟子は何故 皆、売れっ子なのか、、、、」
その答えは、
「俺が何もしないからだ。勝手に育つ。」だった。
確かに11年前もシャッターを押すしかしてなかった、、、と思いながら、昔 見たまんまの答えが返ってきて納得したものだ。
「可愛い子には旅をさせろ!」である。厳しい環境に放り出して、彼等の裁量に任せてしまえば 「なんとかしなきゃ‼️」となるのが弟子。親が あれやれ!これやれ!と言わない環境こそが、主体性を生み育つという事なのだろう。
この日から津野はアシスタントに任せるところは、任せるように心がけた。

達生さんとのサンデー撮影での思い出は、「カメラマンは今やカメラはいらない、iPhoneがあれば撮れる」としきりに仰っていた事だ。その理由は
・それだけカメラの性能が上がったという事と、
・カメラマンは技術ではない
という事の表れだったと思う。
結局、凄腕のカメラマンというのは技術では無い事は、独立後3年には分かっていた。こうやればこう撮れるという技術ではなくて、
・構図のアイデア量と、
・モデルの表情をどう引き出すか、、、
つまりコミュニケーションが最も大事で、それに比べれば技術はカスみたいなもんだ。
現に達生さんの弟子の楽満さん、藤本さんは、巨大なアイデアの倉庫を持ち、天才的にコミュニケーション能力が高い。達生さんはその頂点に立つ 和やかさをお持ちだった。
どの仕事も人と関わるという仕事においては、他人の心を掴み意のままに動かす「人身掌握」の力が大事な事に気付かされる撮影だった。
津野は生涯何人のお弟子さんを世に放つ事が出来るのだろう、、、達生さんのように22人もいけるだろうか。。。津野が亡くなった時に、弟子達がサムネイルのような画像を拡散してくれるような愛される師匠になれれば、幸いである。
渡辺達生さん、有難うございました♪天国で津野のプロフィール写真の撮影お願いします^_^

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