仕事を「頑張る」と表現する人がいる。それは、仕事が楽しくない人の言い方だ。自分の人生の主導権を自分で手にしていない感覚。
遊んでいる様に仕事をしている人は「頑張る」という感覚は1ミリもない。
朝気持ちよく起きて、今日も楽しい1日が始まるとワクワクする。
スタイリストは独立して「自分のさじ加減」で仕事できる様になると、途端に楽しくなる。それでいて仕事に恵まれると、日々遊んでいる感覚となる。
だから、なかなか自分から辞めない。
コレを受けて、下記の様な言い方をする人を沢山見てきた。
『大御所スタイリストが、辞めないから上がドンドン詰まっていって、これから業界に入ってくる人が仕事に恵まれない。』
津野も昔はこの説を信じていた。信じていたがゆえ、「死ぬ気で戦わないと、諸先輩方には叶わない!!気合い入れて日々を送ろう」と初めの5年は意気込んだ。
しかし、それは実態のないタダの想像でしかない事を知った。

先日、津野の師匠と仕事をしていたメイクさんと一緒になり、昔話をした。
「AスタイリストはB’zをやっていて凄かった。」「Bスタイリストは、アシスタント期間、師匠に酷い扱いを受けていた」などなど、、、。
15年前イケイケのスタイリストで、栄光を飾っていた人達の話だ。
しかし、今どうしているかというと謎である。
津野も雑誌、TV、映画舞台挨拶、MVなどをやっている手前、各ジャンルにどんなスタイリストがいるかは、クレジットを見たりしてチェックしている。
しかし、そのB’zをやっていたスタイリストさんは今も尚 大活躍されているが、そのアシスタントさん達は見ない。
先日 同期のスタイリストと会った話をブログに書いたが、彼の話では、身近にいたほとんどのスタイリストは辞めたと言った。
となると、【上が詰まってて辞めないから大変】なんて言う現実はないわけだ。
どの職業でも1発当てた人間は、残る習性がある。昔から有名だったスタイリストは今でもやはり活躍している。全然辞める気配もない。
しかし、その陰で沢山のスタイリストが居なくなっている。
よって、若手スタイリストは恐るる事なかれ!!大腕を振って羽ばたいてほしい。

やりたい仕事に恵まれたのなら、命尽きるその日まで、スタイリスト業を全う出来れば良かったと思う。しかし、現実はそうでは無かった。
1つ疑問なのは、残れるものなら残りたかった業界で、何故仕事が尻窄みしたか、、、。その理由が知りたいとは思わないだろうか。
その答えは、
「与えられた仕事をする」方が、
「仕事を創り出す」よりも、何倍も簡単である事で説明が出来る。
営業部、経営者以外の多くの人は、【仕事は与えられるもの】だと思っている。
与えられたものの中で、どう上手く時間マネージメントするか、後輩育成するかで日々奮闘している。
しかし、与えられた事をやる事は、めちゃくちゃ簡単である。
逆に「仕事を創り出す作業」はゲロが出るほど難しい。頑張れる体力と意気込みはあるのに、仕事がない時ほど 無力感にさえなまれる事はない。
やる事を見つけて、行動しても行動しても一向に売上に繋がらない。。。これが起業というものだ。
「人が喜ぶサービスを創り出して、お客様に届ける作業」は笑っちゃうくらい大変だ。どんなに強い人間でも、あまりにも自分の想いが届かないと、鬱になりかける。
津野は新人スタイリスト時代、オスカー出禁後の再出発時代、チュロス店始動時代、IMMEZ、お貸しや、色々と体験した。
大量の時間と、大量の労働力を投入しても、赤字を抜けなかったり、一向に風向きが変わらないなんて事はザラである。
起業のほとんどは失敗する。それを成功まで持っていく気合いは、与えられた仕事をこなす作業とは、全く比べ物にならない程 大変なのだ。

スタイリストのほとんどは、営業なんてしていない。繋がりから広げて行っただけだ。
今だに、飛び込み営業の話をすると、「どうやってやるの?それ」なんて答えが返ってくる。
繋がりから、仕事を爆増させた限られた天才だけがスタイリストとして残り、それ以外は淘汰されている。
津野は天才ではない。よって、何人も何人もお客様を逃してきた。
その度に、他で営業して営業して顧客を繋ぎ止めてきた。そうしなければ生き残って行けなかった。。。その中でも
昔から今までずっとお願いしてくれている「数少ない出役の方」には、感謝してもし足りないくらいだ。
無くなりそうになった仕事を、立て直す努力をしなかった、多くのスタイリストは10年20年続かないのだろう。
せっかく楽しいと思える仕事を見つけたのなら、人に頭を下げてでもスタイリストとして残って欲しいものだ。

コメント