海で写真集のロケだった.映画誌のF編集長とゆっくり話せる時間。なかなか無いレアケースだ。
編集長にカメラマン,スタイリスト、ヘアメイクstaffを決める時の条件を聞いたところ。
意思疎通が出来て、ストレスなく撮影できる人という事だった。
年齢が上がるにつれて、初めましての人との撮影がストレスに感じる様になり今や避けるようになった。
良いスタッフィングをしたところで、ボーナスを貰えるわけでもなく、だったら気持ちよくやってくれるstaffを集めるように心がけているという。
どこのコミュニティもそうだ。そうやって、選ばれた人達で集まるようになる。
自分も専属アシスタントとインターン生に仕事をして貰う時に同じ事を思うから、納得がいく。
意思疎通ができ、阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)で動いてくれる人がどれだけ大事か。
毎回1〜10まで説明する事の大変さを身に染みて感じる。
3伝えれば10やってくれる専属アシスタントメンバーに固執してしまう。結局、効率と時短だ。そこにいきつく。
内部でも外部でも同じという事である。
(※インターン生が阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)で仕事出来ないのは、仕方ない事なので気にしないで欲しい。)
F編集長はその昔、伝えても伝えても、うまく伝わらなかった社員に、パワハラで訴えられた経験をお持ちだった。
芸能事務所にチラシを印刷し、送付しなければならない業務を丸々忘れて、それを問い詰めると反逆されたそうだ。
パワハラという言葉が一般化してしまったせいで、まともな社員が訴えられる意味が分からないが、病院で適応障害の診断書を持ってこられたら、今の日本では勝ち目がない、、、。
その時は泣き寝入りだったという。
F編集長は当時上司から怒鳴りちらされ、ベコベコになりながらも、社内で映画誌を自ら創刊し、20周年を迎えた。見上げた根性だ!!
Fさんは雑誌の顔として誌面を支え、芸能界の俳優誌の中では指折りの雑誌にした。
小栗くんの結婚式にも呼ばれ、赤西くんを「ジン」と下の名前で呼ぶような人だ。
そんな中、吉高由里子さんに感動したエピソードを話してくれた。
吉高さんは、過去出会った女優の中でも最高ランクに気が使える女優さんと仰った。
吉高さん、マネージャー、Fさんでインタビューしてる時、吉高さんが、「飲み物を人数分買って欲しい」とマネージャーに頼んだようだ。
そして、3本のドリンクが机の上に置かれた。
Fさん「先に吉高さん飲み物、取って」と伝えると
吉高「良いよ。私より先にとって!」
Fさん「そういうわけには いかないから。」
吉高「私のマネージャーさんが買ってきた3本だよ、つまり全部私が好きな飲み物。だから、3番目に取っても私の好きなやつだから。大丈夫。」
このやり取りを鮮明に覚えていた。
頭のよさ!気立ての良さ!気遣いのセンス!
どれをとっても素晴らしい。なんて素敵な人なのだろう。そう感じたようだ。
この様なエピソードはストーリー性があって突き刺さる。一気に吉高さんのファンになってしまった。
お返しにアシスタント時代の津野のエピソードも伝えた。
仲村トオルさんは、
私服の時、衣装の時いつも胸にレザーの名刺入れを持っていた。
ドラマ「チームバチスタ」の際
使い終わったスーツを事務所に持って帰ると、内ポケットにその名刺入れが入っていた。
「これいつも持ち歩いてるけど、なんなんだろう?」と思って中を開けると
その中にはボロボロになった紙切れ、△の屋根の様なものが書かれて「ココ」と書いてある。。。
開けては見たもののよく分からない、、、。
「師匠にトオルさん名刺入れ忘れてます。」と伝えると、「自宅に届けろ」と言われた。
トオルさんに連絡すると、慌てた様子だった。
「ごめん!それ、とても大事なやつなんだ!!!すぐ取りに行くよ。」そう言われたが、
仲村トオルさんに、ウチの事務所まで来て貰うわけにもいかないので、すぐにバイクで自宅へ届けに行った。
チャイムと同時に走ってきて、名刺入れを受け取ったトオルさんは、
トオルさん「津野くん有難うね。助かった。」と言って帰ろうとした。
「この物体のこと聞くには、ココしかねー!!」そう思って聞くことにした!
津野「トオルさん、これなんですか?中に汚い紙切れ入ってましたよ。」
トオルさん「あれ?伝えてなかったっけ、、、。これねー娘が小さい頃に書いた、自宅の地図なんだよ。
パパが帰る家 間違わないようにって。書いてくれて。それが、嬉しくてねー。嬉しくて、嬉しくて、その日から御守りにしてるんだよね。」
津野「、、、。(絶句)」きたねーとか言ってしまった、、。
「あ、そうなんですねー。素敵ですねー。では失礼します!!」
そう言って、なんか申し訳なくてダッシュで帰った。
当時、仲村トオルさんは どんなに忙しくても年に1度だけ仕事を休む日があった。
それは「娘さんの運動会」
「この日は絶対に仕事を入れないでくれ!!」とマネージャーさんに懇願していた様だ。
常に売れっ子で、毎日人に合わせた仕事スケジュール。父としての役割を十分に果たせなかったのかもしれない。そんな中でもココは外せない1日だった様だ。
今や父となった津野にはその気持ちは分かる。
あれから、15年経ったが今も胸にあの御守りは入っているのだろうか。
何処かでトオルさんに会えたら聞いてみようと思う。
とても心温まる思い出の話である
コメント