赤ちゃんの抱っこは、足を曲げてM字にしたら泣きやむことをご存知だろうか?
赤ちゃんは長い間お腹の中に 上記の体制でいたため、
布団で寝る体制の方が、居心地が悪いようだ。よって、お腹にいた体勢に戻すと泣き止む。
抱っこ教室の先生は当然それを知っている。
泣き止んだ経験を元に、新米夫婦に教える。
何も知らない夫婦は、赤ちゃんを先生に渡した瞬間に泣き止むもんだから、その結果だけを見て「赤ちゃんの気持ちが分かる」とか、「才能がある」と言ってしまう。
このように我々は、「経験」の事を一切見ずに、「才能」と言ってしまう事がある。
要は「才能」とは経験の量だという事だ。
芸人さんが瞬間的に面白い事を発するのも、蓄積された過去の「引き出し」の応用だったりする。
現に我々スタイリストが、即座にコーディネートを素敵に組むのも「才能」と言われるが、実は経験の蓄積。
その結果だけをみた人々が「才能がある」と言う。
コミュニケーションも経験の量。
人とどれだけ話してきたか、気持ちよくさせたか、不快にさせたかの経験が積み重なって、コミュ力が高いと言われたりする。
人が生きていく上で、最も大事と言われるコミュニケーションも量が全てだとしたら、
どういう行動を取っていくと人生が好転するか考えないといけない。
コミュニケーションで言うと、業務的社内コミュニケーションは少ない方が良いわけだが、
「津野さんちょっと今いいですか?」と尋ねるのと
「津野さんAの件に関してなんですが」と尋ねるのでは、後者の方が会話のラリーが1つ少ない。
前者だと、「ちょっと今いいですか?」に対して「何の話?」という無駄な会話が挟まるからだ。
このラリーをどう減らせば良いかを、日頃から考える人と、考え無い人で「会話の才能」は変わるだろう。
津野もブログを書く際どうすれば「より短い文字数」で伝わるかを何度も何度も書き直している。
読者に余計な労力を使わせない為だ。
丁寧よりも、分かりやすく短い文を書けと日々アシスタントに伝えているので、自分がやらないわけにはいかない。
ただコレを続けていけば、LINEや、メールのやり取りは格段に上手くなる。
やはり、全てが行動量だ。
貴方が他人よりも時間を投下できる「何か」は、そのうち周りの人から
「才能」と呼ばれるだろう。
最短でそこに向かう為に、才能を発揮したいジャンルを先に決めて、経験の量を増やしていこう!!
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