人に応援されると、道は開けるよ

プロフィール

スタイリストは初め「やってみたい」から、スタートした。キッカケはマネージャー時代にスタイリストの生活を知って憧れた事、「タレントさんにお仕事お願いします。」ではなく、「津野さんにお願いします。」と言われたかった事。

そして、有名スタイリストのアシスタントに就いて、「やれる事」を増やして行った。

今思うと「やってみたい」と思った時点で、「やれる領域」だと無意識に判断したのだろう。じゃないと、「やってみよう」なんて思わなかったに違いない。

じきに「やれる事」が増えていった。

目で見るだけで大体のサイズが分かり、メジャーを使わなくても、ウエストや足のモモの太さが分かるようになり、パンツの裾上げも1本8分あれば上げれる。

タレントの私服を見れば、系統を掴む事が出来るようになり、万人が好きな色の組み合わせも分かるようになった。

アシスタント時代はメンズしかやって来なかったが、フリーになってからは 何故かレディースの仕事が来るようになり、「やれますか?」に対して「やれる」と嘘をついてやれるようにして行った。

すると、レディースもやれるようになった。

レディースに関しては、自力である。師匠からは1分も学んでいない。その代わりプレスの人に教えて貰っていた。

プレスで借りて、使用させて頂いて、その掲載誌を持って行ったら、プレスの人から「ダサい!」と言われた。何が「ダサい」か聞いて、また借りて使用して「ダサい」と言われた。

それを繰り返したり、同じ服を使った他スタイリストさんのコーディネートを見て、自分と比べて 何故自分の方が「ダサい」のかを、検証して検証して今に至る。

「ダサい」と言われ続けた期間も、お仕事としてお金を頂いていたので、今振り返って思うとその頃の女優さん・マネージャーさんには申し訳ない事をした。

しかし、初めからオシャレにコーディネートなんか出来ない。出来るわけない。だから、周りの協力を得ながら、1つ1つやれる事を増やした。


では何故、「ダサい」コーディネートを作る津野に仕事をくれたのか、、、。その理由は、なんだと思う?
答えは、業界が応援してくれたからだ。マネージャー、制作会社、雑誌社、タレント。皆が津野を応援してくれた。
では、応援して貰うには何をしたか。スタッフに場の空気を楽しんで貰った。とにかく、共に過ごした時間を楽しんで貰う事これに集中した。むしろそれだけだ。
現場のスタッフには勿論のこと、プレスの人にも批判を楽しんでもらった。「あんたダサいんだけど」と言われる空気感を作ってきた。教えて下さい感 丸出しの顔をした。
それが応援を呼ぶ。批判に対し素直に意見を取り入れ、教えて貰わなかったら今の自分は無いと思っている。


落ち度は時に応援を生むのだ。能力が重要ではないとは、そう言うことだ。それよりも好感度や愛嬌が大事。
スタイリストとして服は提供するけど、ウチはコーディネートを売っていない。空間を売っている。服はただの手段だ。
エンタメ溢れる居心地の良い空間を作れれば、人は1人2人と集まってくる。そして、その人達が宣伝部となって、自動的に輪が広がっていく。
だから人で態度を変えてはいけないし、常に笑っていないといけない。広角は上げっぱなしだ。


津野がこうなので、アシスタントにもその空間のプロデュースを引き継いで欲しいと思っている。津野が現場にいれない時間はアシスタントが、その空間を作る使命がある。
よって、素直で、好感度が高く、嘘をつかない、大人なアシスタントが必要なのである。


これからスタイリストになりたい人は、まずやれる事の数を増やす事が先決だ。やれる事が広がると目標の方から、自分の方向に近づいてきてくれる。
やれる事を1つずつ着実に増やしていこう!!そして、その過程で応援者が集まってくる事を祈っている。

 

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