米倉涼子さんのおかげ

プロフィール

2003年の5月から、オスカープロモーションでマネージャー職としてお世話になった。初めての配属は「美少女クラブ21」というユニットの担当。

小学校5年生〜18歳までの女の子21人グループだ。1997年に結成されたモーニング娘。全盛期。アイドル戦国時代で、2005年にAKB48が出てくるまで、沢山の事務所がユニット活動に名乗りを上げていた。

津野は鬼教官のチーフマネージャーの元で ボロカスに修行を受けて1年。遂に、転機が訪れる。当時米倉さんは、主演ドラマ「奥様は魔女」という作品で多忙だった。

「チーフのマネージャーさんが手が回らないので、チーフ以下の現場マネージャーは、1日交代で米倉の運転手をやるように。」と業務命令がきた。

「これはチャンス!!ココで気に入られないと俺は主役クラスの景色は一生見れない!!」と危機感を感じた。

運転当日まで、「どう言う接点を持てば、津野を気に入って貰えるか」それを一生懸命考えた。結論、他現場マネージャーが絶対米倉さんに話さない事を話そうと心に決め、

当時、【振られそうだった彼女の話】をした。

「米さん相談乗って貰って良いですか、、、カクカクシカジカ、、、」

「何この人?面倒くさい」と思われるか、「面白いじゃん」と言ってくれるか【賭け】だった。

結果は、めちゃくちゃ前のめりに話を聞いて頂き、車内は大変盛り上がった。

本人を自宅に送り終え、自宅に戻り、翌朝出社したら、津野の席にあったはずの資料が1つも無かった。「終わった、、、やっちまったわ、、、」そう思い、恐る恐る専務に

すみません専務、津野の荷物がマルっとないのですが、、、俺なんかやっちゃいましたかね、、、」と聞いたら

「荷物移動しといたぞ、お前の席はあっちだ」と米倉班のところに移動してあった。

「はて?、、、、どう言う事だ、、、。」と思っていると、すかさず専務が「昨夜、涼子が事務所に来たんだよ。社長室に入って行ってさぁ、《津野を現場マネージャーにして!!》って宣言したみたいだぞ。良かったな。頑張れよ。」と言われた。

ガッツポーズである。この日からまるで【レッドカーペットを敷かれた生活】となっていった。

そのうち、その生活も当たり前になってきた頃、どんなに自分がマネージャーとして頑張っても

「米倉さんに仕事をお願いしたい」とは言われるが、「津野くんにお願いしたい」と言われないことに淋しさを抱きだす。

そのタイミングで、目の前にいたスタイリスト・ヘアメイクさんの生活がキラキラして見えた事から、スタイリストを目指す様になるのである。

米倉さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで、ドラマの主役を次々と演じていたため、そう簡単には離脱出来ない。

津野はオスカー3年目に入った頃には、「良きタイミングで退職したい」と上司に相談しており、3年目が終わる直前に退社する事となる。

当時はスタイリストの師匠も定まっていない時である。辞めても働き口はないが、とりあえず辞めた形だ。

退職日当日、会社から去ろうとすると常務から「津野、最後に401の会議室に行け。涼子が待っている。」と言われ、神妙な面持ちで会議室のドアを開けた。

米さん「津野っち、お疲れ様。色々有難うね。スタイリストになるって聞いた時は、本気で驚いた。スタイリストのアシスタントって皆 辞めちゃうからさ、、、貴方は辞めちゃ駄目だよ。

私をやれるくらいのスタイリストになってね。」と背中を押してくれた。

主役クラスの女優を、スタイリング出来るなんてプロのスタイリストの中でも100人に1人だ。それがどれだけ険しい道か、、、。

ただ、その言葉のお陰でアシスタント時代どんなにキツくても乗り越えていけた。辛い日々に挫(くじ)けそうになる度に、米さんから頂いた花向けの言葉がリフレインした。

更に、米さんのメイクの竜司さんに スタイリストの師匠まで紹介して貰った。なんと御礼を申し上げれば良いのだろう。

米さんは、間違いなく「津野の人生を決定づけた要の人」である。

今でも心から感謝し、尊敬している。

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